« 霜月 | トップページ | 蟋蟀(こおろぎ) »

鈴木良一『織田信長』(岩波新書)

日曜日に読了。前に古本屋で買っていた本だが、『応仁の乱』の続編として投入。

先の『応仁の乱』と同じ、手堅い考証と筆致のしっかりした本で、注意深く読むと、信長が今川義元、武田信玄、上杉謙信などの他の大名といかに意識が違っていたかがわかってくる。

また、戦国争覇ばかり注目する向きにはあまり知られていない朝廷・寺社本所との関係や、浅井・朝倉を倒した後の一向一揆(=ひいては国人・農民まで一続きの地域共同体)との対決、堺や槇尾寺、高野山との対決などに注目して、旧体制を破壊し日本の近世を開いた信長の姿が伝わってくる。

反面、たとえば長篠の戦いについては、一向一揆との戦いの章で

「信長は過去数年の戦闘の間にしだいに訓練された鉄砲隊を組織し、…(中略)…その威力の前には、やりを武器とする重騎兵の個人戦法というかぎりでは戦国大名軍最強に位するであろう武田軍も、ちょうど三月前三河長篠で壊滅した。」

と一言述べているだけで、たとえば「火縄銃三段射ち」のヒの字も出ない。こういう描き方はかえって痛快でもある。

また、この天正初年の一向一揆との対決から、信長の専制的性格、苛烈で残忍な面が目立ってくると指摘している。

特に天正八年(死の前々年)あたりから佐久間・林の追放、留守中に寺参りした侍女たちを「成敗」など、露骨になってくることが、「信長の封建支配の確立と集中との関係とどんなかかわりがあるのか」と、その答えは「むずかしい問題である」としながらも、そのような問いを投げかけている。

信長のかような性格は生まれつきもあろうが、確かに40代以降からひどくなる傾向に注目していることは卓見だと感じる。

その「最期」の章では、武田征伐には今までの大和や越前での支配への周到で慎重な準備が見られないとし、そのための復讐(本能寺変後に甲斐・信濃・上野の支配がたちまち瓦解したこと)を受け、それを「批判的に継承」し、克服したのが徳川家康であるとしている。

時代は信長の二人の継承者、秀吉と家康を軸に新たに動いてくのである。本書はここで終わっている。

この書によって、読者はその支配体制を含めた信長の姿、また日本の近世の幕開けを、つぶさに見ることができるであろう。

|

« 霜月 | トップページ | 蟋蟀(こおろぎ) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 霜月 | トップページ | 蟋蟀(こおろぎ) »