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鎌田茂夫『禅とは何か』(講談社学術文庫409)

映画「ZEN~禅~」を見終わったあとで買った本がやっと生きてきた。

著者は陸軍幼年学校に入学したが終戦となり、鎌倉円覚寺に参禅して仏教に生きる道を見出し、西田哲学と格闘し、その後仏教史の研究者となった。

興味がある方には一読してもらうしかないが(要約は難しい)、私の心の中に残ったのは、禅とは「無功徳」であり、「朝鍛夕錬」であるということ。やったからといって功徳があるわけでない。そして、たとえ悟りを開いたとしてもさらに修行を続けなければいけない。朝に鍛錬、夕に鍛錬した毎日を送って数十年、やっと何かが生じるかもしれない。

「それでは、無功徳・無所得の生命を支えるものは何か。それは無限の努力にほかならない。
「ため」にする努力ではない。求めて求めない努力にほかならぬ。仏陀の最後の言葉は「不放逸にして精進せよ」ということであるが、怠らないで努力をするという、この簡単な言葉の中に人生の無限の真理が含まれているように思われる。理想は実現できないから理想であり、実現できない理想に向って、一歩一歩努力していくことに人生の意義があるのであろう。」(同書87~88ページ)

考えてみればスポーツ選手など、語学の学習など、また日常の仕事なども、すべてそのようなものであるかも知れない。

「精進とは一日一日の積み重ねである。一瞬一瞬が勝負である。人生に繰り返しはきかぬ。後へはもどれぬ。」
「どんな仕事であっても、二、三十年の朝鍛夕錬があって、真箇のものとなるのである」(同書157ページ)

また、たとえ毀誉褒貶(これも仏教語である)を受けても、本来の自分は「不増不減」であること。
毎日「顔を作る」こと。

また、姿勢を正し(「背骨が肝心だ。背骨をまっすぐにする。きちんと伸ばす。腰を立てる。そしてあごを引く。口は軽く歯を合わせる。そして頭のてっぺんかは天をつら抜くような気持ちとなって、あごを軽く引く。そして静かに目を落とす。これで大体形ができる。」(同書118ページ))、呼吸法を工夫すること。電車の中でだらしなく坐っていることはそれ自体悪であろうと思えてくる。

昭和54年第1刷発行であるが、随所に世相を慨嘆する言葉が見える。昨今ではなおさらであろう。

『葉隠』の引用など、ちょっとどうかなと思うところがないわけではないが、生の指南書として有益であった。「努力」に縁遠い私だからこそ。

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コメント

コメントまことにありがとうございます。

とにかくブログの更新もスムーズでない遅筆ですから…。このものぐさ体質を何とかしなければダメですね(上の禅の本と矛盾)。

お褒めいただいたのでその特性を生かして頑張りたいと思います。

とりあえず今日は執筆活動。モーツアルトの会の会報の原稿締め切りが迫ってます…。

投稿: ロイヤルトランペット | 2010年4月18日 (日) 12時06分

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