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高橋多佳子ピアノリサイタル~デビュー20周年&ショパン生誕200年記念~

去る3月6日(土)、浜離宮で行なわれたコンサート。

副題にあるとおり、高橋多佳子さんの「デビュー20周年」かつ今年は「ショパン生誕200年」という記念すべきリサイタルで、今年から来年にかけて全四回のシリーズで行なわれる。生誕200年のショパンはもちろんだが、生年が近い三人の作曲家、メンデルスゾーン、シューマン、リストをタイアップで取り上げ、ショパン独演の一回も加えての四回シリーズである。
その先陣を切るは、「ピアノは歌う メンデルスゾーンとともに」というわけ。

だからプログラムを見ると、冒頭の

・ショパン ノクターン Op.9-2

のほかはすべてメンデルスゾーンとショパンの同種の曲の掛け合いである。すなわち

・メンデルスゾーン 「無言歌」より "詩人の竪琴"Op.38-3
・メンデルスゾーン 「無言歌」より "春の歌"Op.62-6
 vs
・ショパン  ノクターン Op.9-1
・ショパン  ノクターン Op.27-2

・メンデルスゾーン 「無言歌」より "ヴェネツィアのゴンドラ"Op.62-5
 vs
・ショパン  舟歌 Op.60

 (休憩)

・メンデルスゾーン ロンド カプリチオーソ Op.14
 vs
・ショパン  マズルカ風ロンド Op.5

・ショパン  華麗なる変奏曲 Op.12
 vs
・メンデルスゾーン 厳格なる変奏曲 Op.54

という感じになっている。

途中、メンデルスゾーンが裕福な生まれで若い時から「真夏の夜の夢」の作曲などで才能を伸ばしたこと、メンデルスゾーンの水彩画に対し、ショパンが漫画を描くことを好んだこと、社会的にもメンデルスゾーンが指揮者や音楽監督など社会的地位を得て指導的役割を果たしたのに対し、ショパンはピアノレッスンのほかは終生一作曲家だったこと、などが高橋さんのお話で語られた。メンデルスゾーンがいかに熱心にショパンに交友を求めたかも紹介された。

全体を通じての感想は、これは意見が分かれるかもしれないが、個人的にメンデルスゾーンよりショパンの音楽の方が、陰影があり深く、かつ自然に流れるように感じられた。最初の「無言歌」二曲は、一曲目は渓谷のようで伸びやかだし、二曲目が美しいことは言うまでもないが、続くショパンの氷雨のようなOp.9-1、そして早春の原野の光景のような、そしてその中にたたずむ青年の決意のようなOp.27-2が始まってみると、断然深みが違った。
また舟歌Op.60はいかにも地中海の潮風が感じられるような船出の曲だ。

後半のショパン「マズルカ風ロンド」Op.5、「華麗なる変奏曲」Op.12はいずれも若いときの作品で、前者はその前のメンデルスゾーンの「ロンド」が15歳の天才の縦横無尽の清新な曲に対し、「マズルカ」風でいかにも田舎くさく(悪い意味ではない)、これは好対照を成していた。

また後者の「華麗なる変奏曲」Op.12は、河村尚子さんのショパンのCDの冒頭のきらびやかな曲で、「こんな曲があったんだ」とそのCDでは教えられたものだが、今回のリサイタルではこの曲と同CD収録のノクターンOp.27-2が両方演奏されていて、ひょっとしたら何か対抗意識みたいなものがあったのかもしれない?これも、続くメンデルスゾーンのまるで「夜の哲学者」のような「厳格なる変奏曲」と、「華麗・優雅」と「厳格・内省」という曲調が好対照だったように思う。

一番すばらしかったのは上述した前半のノクターンOp.27-2であった。

アンコールはショパンの幻想即興曲と、バッハの「主よ人の望みの喜びよ」で、バッハの方は高橋さんの演奏の凄さに驚倒した、私の中で伝説の2000年6月16日の東京芸術劇場コンサートの冒頭の一曲だったのを思い出させる、敬虔な「祈り」を感じさせる曲だった。

次回は9月に「シューマンとともに」。シューマンのアラベスク/クライスレリアーナに対抗するショパン側の出場曲?はバラード全曲。
期待したい。

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