« 朝青龍引退 | トップページ | 旧正月 »

中山雅洋『北欧空戦史』

今まで読みたかった懸案の本が何冊もあって、3月くらいまでに読了するようにプログラムを組んだ。これはその第一発目。本当は正月本だったのだが、調子が乗ったのが年明け後となって、さる1月13日読了。

さすがに名著といわれるだけあって、筆致もユーモアを含みながら、その内容は充実している。

フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧三国は昔の日本(大日本帝国)と違い、航空や国防に割ける予算がなく、長い間田舎の空軍だった。スウェーデンでカルル・ストレーム男爵がフランスのブレリオ飛行学校に学び、帰国して初飛行したのが1911年だから、我が日野大尉・徳川大尉の日本初飛行に遅れること1年である。しかし、第一次大戦では中立を守り、戦争の必要性も無く予算も削られたため、発展はみられなくなった。ノルウェーでも同じような状況であり、またフィンランドは帝政ロシアの崩壊とともに独立戦争をして建国されたが、イギリスから顧問団を招いて湖が多い地勢がら水上機専門に少数配備した。もちろん、ここも予算不足で旧式機の輸入に頼るほか無かったのは他と同じである(それでも少数の珍機を両国とも国産したらしい)。

しかし、軍備が認められないドイツはソ連領内の覆面空軍を作って研究と訓練を行い、後進国のソ連も次第に力をつけ、両国の脅威が1930年代に急速に北欧にのしかかってくることになる。

そして、1939年の独ソ両国によるポーランドの侵攻と分割、さらにソ連はエストニアら三国に属国要求を飲ませ、同様な要求はフィンランドにも突きつけられ、ついに開戦。その前にオランダから購入していた蘭印防衛用のフォッカー戦闘機30機あまりと他の旧式機を駆使して、凍結した湖を飛行場とする神出鬼没の冬の航空戦がはじまる。

その結果、領土を奪われながらも講和に持ち込んだが、翌年には今度はノルウェーを巡って英仏が沿岸に機雷を敷設。そしてその翌日にドイツがノルウェーに侵攻。スカンジナビア半島北部を舞台に独英の航空戦が展開される。この情勢では唯一の中立を保っているスウェーデンにもドイツまたはソ連の侵略が始まるのは時間の問題となる。

1941年の独ソ戦の開始とともに、ソ連は再びフィンランドと開戦。太平洋戦争初期に零戦に落とされることになるアメリカの艦上戦闘機バッファローが少数輸入され、フィンランド空軍の最新鋭機として「空の真珠」とたたえられるほどの活躍をする(でも、何でそんなことができるんだ?)。24時間出動態勢の白夜の空戦、そして北海経由輸入されるイギリス機との戦いと補給戦への進撃。また決定的な飛行機不足に悩むスウェーデンは、自前の戦闘機を持つことを決意しての悪戦苦闘。フィンランドはなんとかソ連との戦いを支えきり、領土を奪われたものの大半の国土は守ることができ、またスウェーデンはライセンス無しのコピーエンジンと双ビーム・推進式という「ゲテモノ設計」で、ついに国防戦闘機の国産に成功。その流れは戦後も引き継がれることになる。

本書を読んで痛感したのは国防の重要性であった。確かに昔の日本が軍事を優先した挙句に、中国侵略や新たな戦争に走ったことは良くないことだが、明治時代から長い時間と金と労力をかけて、飛行機や軍艦などの自前の軍事技術を養ってくることができたことは、ある意味では恵まれたことであった。つまり話し合いで通用しないような凶悪な隣国が出現した場合、最後に国を守るためには最小限の軍備が必要である…。

フィンランドの戦闘機およそ350機が落としたソ連機は約2000機。つまりフィンランドの1機が落としたソ連機は平均5~6機で、著者はその理由を「第一はフィンランド人の先祖代々からの猟人の眼とカン、射撃の腕前であり、第二はひどい数的劣勢の中を、夜のない空戦を四回も耐え抜いた極北の森と湖の住人の堅忍不抜さであった」としている。

何百回と出撃し、94機撃墜のトップエースとなりながら、被弾したのはわずか一回だけという無傷の撃墜王・エイノ・イルマリ・ユーティライネン。飛ぶたびに被撃墜や事故で負傷しつつも、後遺症も無く常に生還してきた不死身のパイロット「ついてないカタヤイネン」ことニルス・カタヤイネン。その他敵味方のパイロットたちのエピソードも豊富である。

飛行機があまりなじみが無いものであるが、写真も多くあるので参照できる。また巻末には著者が1977年にフィンランドを訪問して、エース達と語らった記録が補修されている。

このような戦いがあった事を知っておいて損がない名著であろう。

|

« 朝青龍引退 | トップページ | 旧正月 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 朝青龍引退 | トップページ | 旧正月 »