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2010年2月

浅田真央&安藤美姫&鈴木明子

遅くなったけど、

感動した。

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啓蟄?

今日、帰路に路上でかえるを五匹も見た(畑でもなんでもなく普通の住宅地である)。

この暖かさで、目覚めて出てきた模様。まだ2月である…。

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浅田真央Ⅱ

「自分の出来る事をすべてフリーでパーフェクトに滑ることだけを考えて、あすもう1度しっかり確認してフリーに臨みたいと思う。」

この心持でいきたい。

ところで今、女子のクロスカントリー・リレーを見ているけど、何でスキーを履きながら上り坂をあんなにしゃかしゃか登っていけるの?

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浅田真央

感動した。

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春立つ

今日は陽気も暖かく風もすっかり春めき、ここ数日の雪催いの寒日をくぐり抜けて、はじめて春が立ったような日だった。

昨日曜日には、曾我の梅林を見に行った。朝早かったのでまだ梅林の畑には霜が残っていたが、この陽気では今後急速に開花も進むだろう。

帰宅して、モーツアルトの初期の交響曲k19aと同第四番k19を聴く。どちらも早春の訪れを告げるような曲で好もしい。

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スキージャンプ

日曜日の朝、五輪のラージヒル決勝を観戦。

最初から見たので、最近良くわからなくなったルールもわかって良かった(何しろ私のジャンプの知識は70m級、90m級の時代だ)。予選の50人が二本目は30人になるとか。ヒルサイズとか。K点125mで一律60点?以下+1メートルごとに加点するとか。

気温は+7.9度。一番低い12番ゲート 飛び出しも92キロ台で各選手とも苦戦の旨、解説が何度も強調していた。

1番がカナダで、カナダはこの人一人の由。以下米、露、仏、伊など、そういえばこういう国々の選手ジャンプではあまり聞かないねというのが続いていておもしろい。

日本勢の一本目は
・竹内110m  二本目に進めず
・栃本105m  二本目に進めず
・葛西121.5m 21位
・伊東117m  30位

一本目上位三人は
・ハウタマキ(フィンランド) 134m
・マリッシュ(ポーランド)  137m
・アマン(スイス)       144m
このあとにオーストリア勢が4人かたまりになって続く。
もうこの三人金・銀・銅でいいじゃんと思った。何しろアマンは、言いたくはないが栃本より+40mも飛んでいる…。

二本目は11番ゲートとなり、助走はわずか85mの悪条件とのこと。風の具合が出来を大きく左右する。
葛西の二本目は135mの大ジャンプで希望をつなぐ。
フィンランドのアホネンはメダル不可と見るや、二本目を棄権した。

二本目30人の最後(=一本目上位)は、ヤンダ(チェコ)、ワンク(独)、ハイク(チェコ)、ヤコブセン(ノルウェー)、ノイマイヤー( 独)といった面々で、そのあとに
・モルゲンシュテルン
・ロイツェル 
・シュリーレンツアウアー 136m
・コフラー           135m
のオーストリア4人組が続く。

最後の三役は、ハウタマキが二本目104mと失速。マリッシュは133mとし、最後のアマンとの一騎打ちの形となったが、アマンは138mと文句なく、解説も「野球なら場外ホームランです」「手がつけられませんよ」とあきれる圧勝となった。これで五輪史上初のジャンプで金四つを獲得。「アマン・ザ・マジシャン」の名をほしいままにする(そんなこと誰もいってない…)。

本日の朝の速報では、同じメンバーの日本勢団体は5位の由。上の成績見ると大奮戦といえよう。

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明けの空

今朝4時過ぎに目が覚めたので起きて見ると、スピカや獅子が西に傾き、真南にはすでにサソリが頭をもたげていた。

「カワハリ」の和名を持ち、炭焼きや猟師が冬の明け方の目安にしたからす座の四辺形が、南中を少し超えた南天にかかっていた。

そして、東南の低空に一見スピカかと思われた清澄な光を放っていたのはアルタイルで、ひるがえれば東天かなり高く織女が明るくこれも清い光を放っていた。

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夢の競演 高橋多佳子とヤングピアニスト

去る1月24日に浦和・プラザイーストホールで行なわれたコンサート。

私はこの企画の前身の「公開レッスン」にも何回も行っていて、それは小学生からお年寄りまでの選抜された出演者が演奏して、ピアニストの高橋多佳子さんがその演奏にアドバイスするというもの。一緒に聴きながら「音楽芸術というのはこうやって作るものか」と感じるものがある興味深い企画だった。

二年前から同じ会場でやっているこの「ヤングピアニスト」の方は、オーディションで選抜された若い(小学生~大学生)人たちが高橋さんと一緒に連弾するというもので、年長の三人には最後に独奏タイムもある。今回は10人が本番に参加。公営のホールでプロと一緒に連弾だから、演奏者にとってはとても励みになる企画で、実際ホールの人の入りも満員に近かった。

毎年聴いているけれど「みんなうまいなあ」というのがいつもの感想である。また、高橋さんが演奏後にインタビューのようにしてコメントをつけるが、お話が上手な人だからこれを聞くだけでも面白い。
音楽も、雰囲気も両方楽しめる楽しいコンサートだ。

参加者の方々の中からまことに勝手に私的に賞を授与させていただくと
○技能賞:倉田さん(大2)
弾いたラヴェルの「スペイン狂詩曲」は高橋さん曰く「とてつもなくむずかしい」曲である由。フランスものが好きな人で、独奏の最後にもラヴェルの「道化師の朝の歌」を弾いた。さすが最年長。
○殊勲賞:瀬原くん(小2)
最初の子だったが、「ん?ボロディンの「ダッタン人の踊り」ってこんな曲だったのか?」と一瞬思ったほど、なにか深みというか、独特の味がある。
○敢闘賞及び総合賞:指物さん(高1)
フォーレの「ドリー Op.56」を三人が2曲ずつ弾いたがその最後の人。「5 優しさ」の演奏は「静かな黄昏」を思わせた。独奏ではリストの「ため息」を弾く。全体的に音がきれいで余韻が残る感じを受け、最も印象を受けた。

音楽の道に進む人もそうでない人も、ヤングピアニストたちの将来に期待したい。

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雨水

明日は二十四節気の一つ、雨水。

「獺が捕らえた魚を岸辺に並べて祭り…」は毎年書いているからやめるが、生命をよみがえらせる水を雨降らす時期であり、草木が萌え始める時期である。

雨水が一月の節気なので、旧暦の一月には必ず雨水が入ってくる(立春は今年のように旧一月からはずれる年がある)。

「雨水にひな飾りをする習慣」が新暦以降の俗信であろうことも、昨年の「上巳節」の項に書いた。昔のひな祭り(三月三日)は今の新暦では4月上旬ころになるから、明日から飾ったら4月はじめまで一ヵ月半も雛人形をずっと放置しなければならないから(二十四節気は新暦でも旧暦でも季節は同じ)である。

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旧正月

旧暦でもやっと新年を迎えた。去る2月14日が旧一月一日。おめでとう。迎春。

『江戸の歳時風俗誌』で江戸の正月を読んでいる。昨日は「大黒舞」の項。年末の「せきぞろ」と同じようなものらしい…。

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中山雅洋『北欧空戦史』

今まで読みたかった懸案の本が何冊もあって、3月くらいまでに読了するようにプログラムを組んだ。これはその第一発目。本当は正月本だったのだが、調子が乗ったのが年明け後となって、さる1月13日読了。

さすがに名著といわれるだけあって、筆致もユーモアを含みながら、その内容は充実している。

フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧三国は昔の日本(大日本帝国)と違い、航空や国防に割ける予算がなく、長い間田舎の空軍だった。スウェーデンでカルル・ストレーム男爵がフランスのブレリオ飛行学校に学び、帰国して初飛行したのが1911年だから、我が日野大尉・徳川大尉の日本初飛行に遅れること1年である。しかし、第一次大戦では中立を守り、戦争の必要性も無く予算も削られたため、発展はみられなくなった。ノルウェーでも同じような状況であり、またフィンランドは帝政ロシアの崩壊とともに独立戦争をして建国されたが、イギリスから顧問団を招いて湖が多い地勢がら水上機専門に少数配備した。もちろん、ここも予算不足で旧式機の輸入に頼るほか無かったのは他と同じである(それでも少数の珍機を両国とも国産したらしい)。

しかし、軍備が認められないドイツはソ連領内の覆面空軍を作って研究と訓練を行い、後進国のソ連も次第に力をつけ、両国の脅威が1930年代に急速に北欧にのしかかってくることになる。

そして、1939年の独ソ両国によるポーランドの侵攻と分割、さらにソ連はエストニアら三国に属国要求を飲ませ、同様な要求はフィンランドにも突きつけられ、ついに開戦。その前にオランダから購入していた蘭印防衛用のフォッカー戦闘機30機あまりと他の旧式機を駆使して、凍結した湖を飛行場とする神出鬼没の冬の航空戦がはじまる。

その結果、領土を奪われながらも講和に持ち込んだが、翌年には今度はノルウェーを巡って英仏が沿岸に機雷を敷設。そしてその翌日にドイツがノルウェーに侵攻。スカンジナビア半島北部を舞台に独英の航空戦が展開される。この情勢では唯一の中立を保っているスウェーデンにもドイツまたはソ連の侵略が始まるのは時間の問題となる。

1941年の独ソ戦の開始とともに、ソ連は再びフィンランドと開戦。太平洋戦争初期に零戦に落とされることになるアメリカの艦上戦闘機バッファローが少数輸入され、フィンランド空軍の最新鋭機として「空の真珠」とたたえられるほどの活躍をする(でも、何でそんなことができるんだ?)。24時間出動態勢の白夜の空戦、そして北海経由輸入されるイギリス機との戦いと補給戦への進撃。また決定的な飛行機不足に悩むスウェーデンは、自前の戦闘機を持つことを決意しての悪戦苦闘。フィンランドはなんとかソ連との戦いを支えきり、領土を奪われたものの大半の国土は守ることができ、またスウェーデンはライセンス無しのコピーエンジンと双ビーム・推進式という「ゲテモノ設計」で、ついに国防戦闘機の国産に成功。その流れは戦後も引き継がれることになる。

本書を読んで痛感したのは国防の重要性であった。確かに昔の日本が軍事を優先した挙句に、中国侵略や新たな戦争に走ったことは良くないことだが、明治時代から長い時間と金と労力をかけて、飛行機や軍艦などの自前の軍事技術を養ってくることができたことは、ある意味では恵まれたことであった。つまり話し合いで通用しないような凶悪な隣国が出現した場合、最後に国を守るためには最小限の軍備が必要である…。

フィンランドの戦闘機およそ350機が落としたソ連機は約2000機。つまりフィンランドの1機が落としたソ連機は平均5~6機で、著者はその理由を「第一はフィンランド人の先祖代々からの猟人の眼とカン、射撃の腕前であり、第二はひどい数的劣勢の中を、夜のない空戦を四回も耐え抜いた極北の森と湖の住人の堅忍不抜さであった」としている。

何百回と出撃し、94機撃墜のトップエースとなりながら、被弾したのはわずか一回だけという無傷の撃墜王・エイノ・イルマリ・ユーティライネン。飛ぶたびに被撃墜や事故で負傷しつつも、後遺症も無く常に生還してきた不死身のパイロット「ついてないカタヤイネン」ことニルス・カタヤイネン。その他敵味方のパイロットたちのエピソードも豊富である。

飛行機があまりなじみが無いものであるが、写真も多くあるので参照できる。また巻末には著者が1977年にフィンランドを訪問して、エース達と語らった記録が補修されている。

このような戦いがあった事を知っておいて損がない名著であろう。

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朝青龍引退

ということで、思わず職場の朝のコーヒーをWANDAで飲んでいたわたし。

でもこの場合、相撲界から去るのだから「引退」でなくて「廃業」ではないかという疑問がある…。

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