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白石良『敷設艇 怒和島の航海』

敷設艇「怒和島(ぬわじま)」。排水量720トン。平島型敷設艇の八番艦。昭和17年11月15日竣工。船団護衛、機雷敷設に活躍。昭和20年4月30日、佐伯港内で爆弾が命中、艇長の判断で対岸の大矢島に擱座、同年除籍。

戦艦、空母の海戦記は多くあるが、こういった小艦艇となると少ない。それだけに興味深い。

艇長・久保忠彦大尉は、高等商船学校出身で民間で航海士をしていたいわゆる予備士官で、正規の海軍士官ではない。しかし操艦はうまく、また戦いに備えて司令部と交渉して対空用の機銃を次々に装備するなど有能な艦長で、乗組員も「うちのフネはニトッパ(二等駆逐艦)より上」と自負していた。そのため小艦艇ながら士気は高かったのである。

前甲板に高角砲を一門装備していたが、試射に失敗したため艇長は以後発射を禁止した(オイオイ)。なにしろ優秀な砲手は戦艦や巡洋艦に取られてしまっているため、小艦艇では腕のほうは怪しいもので、怒和島も他の海防艦の射撃訓練で標的を曳航したりするのだが、真上に砲弾が飛んできたりするらしい。メインの武装は対空機銃と対潜用の爆雷である。

一番傑作なのは爆雷で魚を取っていること。
一回探知機で潜水艦らしき影に爆雷攻撃をしたところ、魚が大量に浮き上がってきたので(魚群だったらしい)それに味をしめ、爆雷を投下して爆発させて浮き上がってきた魚を取って食べ、食べきれない分は甲板やマストに縄を張って干物にしていた。それを司令部に供出したために機銃弾などの搭載兵器も豊富に割り当てられた。
しかし爆雷は高価なため、機雷科と機銃の准士官の間でその実施を巡ってしばしば喧嘩になった…。

佐伯を根拠地にして、豊予海峡を出港していく船舶の護衛に従事。時にパラオや、戦争末期には沖縄方面への護衛任務についた。石垣島では停泊中に機銃で敵機を撃墜し、島の人に「防備隊の対空砲火がさっぱりあたらないので、今回は溜飲を下げた」とほめられたこともあった。このときは乗組員のとっさの判断で微速前進をし、爆弾の難を逃れたのであった。もちろん、護衛中に敵潜の魚雷攻撃など危ない体験もしている。

最後は上記のように空襲により被弾、島にのし上げて沈没を防ぎ、終戦を迎えた。
本書は聞き書きとしてまとめられているが、小著ながら小艦艇の戦争を活写した本であると思う。

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