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2009年8月

家庭教師ヒットマンリボーン30

四つの試練をクリアしたものの、試練終了まで今日を入れてあと三日となった一同。
そこへツナの元を訪ねた女性・アリアはオレンジのおしゃぶりを持っていた。

アリアが聞いたほかの女性たちのツナ評は
ハル:かっこいい
京子:ほっとする
クローム:親切にしてくれる
と全員一致で好評価。

そこへ襲ってきた曲者を死ぬ気モードとマキシマムキャノン、ボックス兵器、時雨双燕流で片付ける四名。
買い物のわがまま対応と合わせ、これで包容力の試練はクリアとなる。

リボーンの回想では
ルーチェ-アリア-ユニ
という系譜で血がつながっているらしい。
アリアの護衛をしているガンマは今20代で、10年後の世界で30代くらいなのだろうか。

あと残るはリボーンとヴェルデの試練だ。

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笹井忌

8月26日は、旧日本海軍の台南航空隊の中隊長・笹井醇一中尉の命日である。勝手に私はこの日を「笹井忌」と称している。

『大空のサムライ』の坂井三郎氏が下士官兵と士官の垣根を越えて心服した上官だった。昭和17年8月7日に、ガダルカナル上空の第一戦で坂井一飛曹が重傷を負い、内地に帰還したあと、ガダルカナル島の攻防戦はさらに激しくなり、士官搭乗員中随一の撃墜数を誇った「ラバウルのリヒトホーフェン」もついに同年8月26日に未帰還・戦死したのだった。享年24。

渋谷の五島プラネタリウムが最後の頃、ちょうどシドニーオリンピックの時(平成12年)で、8月26日の映写で南半球の星空を映し出した。私はそれを見て、58年前の笹井中尉が帰ってこなかった夜、基地の上空に見えていた星空のことを思ったものだった。

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七夕

明日26日は、旧暦の七月七日で七夕である。

今年は閏月が入ったから、例年よりさらに遅い。しかし七夕の諸行事を見ていると、猛暑も収まり、空が澄みはじめた初秋の夜の行事としてまことにふさわしいものだと思う。少なくとも水の入った盥を庭に出して、天頂にある牽牛・織女の二星を水に映す涼味などは、新暦の7月7日では味わい得ない。

もともと七夕の牽牛、織女とは、農耕の河の神にささげる生贄の牛、嫁女から来ている(以下植木久行『唐詩歳時記』の受け売りである)。これで牛という奇妙な名の納得である。それがいつしか天の川をはさむ二星を祭る行事となり、さらに1年に一度しか会えない男女の星と、鵲の橋などの伝説が付加されていく。それら伝説と、祭る行事の定式が定まったのは六朝時代らしい。

中国で盛んなのは乞巧(きっこう)という針仕事の上達を祈る行事で、庭にござを敷き、机を並べ、その上に粥、瓜、果物、酒、菓子などの供え物をし、上弦の月(七日だから)の下で七本の針(七孔鍼)に五色の糸を通し、孔にうまく通ったら上達できるとした。また、箱の中に蜘蛛を入れたり、供えた瓜にかかる蜘蛛の糸の様子を見て上達振りを占った。蜘蛛と裁縫の技巧の関係は、ギリシャ神話のアクメネのことをちょっと思わせる。

またこの日、竹竿にその五色の綏をたらして飾る行事があり、これが日本の笹に短冊を飾る風習の起源となったのであろうという。願い事を短冊に書くのも上記乞巧の変形であろう。中国においても、女性は裁縫の上達を祈り、男の子は学問の進歩を祈った(『白氏文集』)。

七夕前日に雨が降ることを「洗車雨」といい、当日の雨は「灑涙雨」(涙を灑〔そそ〕ぐ雨)という。今日は早朝からスコール気味の雨もよいだ。

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家庭教師ヒットマンリボーン29

この時代にボックス兵器の開発が始まっていることに眉をひそめる一同。
ちなみにボックス兵器の発明者はイノケンティ、ケーニヒ、ヴェルデと。

竹寿司に陣取るベルフェゴール、マーモンとそして怪しい中国人。

雲雀にそっくりのフォンの試練は「指導力」を見るとのこと。
イーピンにかつてフォンが教えたことは「流れを読み、流れに乗れば風は自ら手の上に降りてくれる」ことだった。

次回予告のオレンジのおしゃぶりを持つ女性とは、かつてガンマの回想に出ていたジッジョネロファミリーの先代の女ボスではと見終わってしばらくたってから気付く。

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処暑

今日は処暑。

『荊楚歳時記』には何も見えないが(というかこの節気は何も特徴がない!)、久しぶりに『四民月令』を取り出して見ると、「処暑中から秋節(白露)に向うまで、故(ふる)きを浣(あら)い新しきを製(た)ち、袷(あわせ)、薄(薄綿入れ、または「ひとえ」)を作り、もって始涼に備う」とあって、秋の衣服の準備に入ることが見える。

暑さもぶり返し、夏休みの終盤らしい気候となった…。

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夏の果(はて)

久しぶりに『俳句歳時記 夏』(河出文庫)をひもといてみる。まず、目にとまったのが表題の季語で、次のような例句がある。

ぱんぱんのひぢの黒さよ夏了わる    石橋辰之助

夏終わる刃物一切出して研ぐ     石井 白楼

油絵を描きしごとく夏終わる      前田野生子

8月もあと一週間である。蝉もすっかりツクツクに変わった。

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七月(旧)

朝、寝床の中で虫の音を聞いていると9月(新)の白露みたいな感じ…。

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六月尽

今日は旧六月の晦日だ。明日から秋・七月となる。

『漢詩歳時記 夏』の「蓮の露」の項で、韓握(※本当はニンベン)の詩を読む。夕立の詩「猛風飄電…」で紹介した詩人だが、やはり自然の描写力、すぐれたものがあると思う。

   野塘      唐 韓握(※)

侵曉乗涼偶獨來
不因魚躍見萍開
捲荷忽被微風觸
瀉下清香露一杯

暁を侵し 涼に乗じて 偶(たま)たま独り来(きた)る
魚の躍るに因(よ)らずして 萍(ひょう)の開くを見る
捲荷(けんか) 忽(たちま)ち微風に触れられ
瀉(そそぎ)ぎ下す 清香の露一杯

早朝、涼しさに誘われてたまたま池のほとりにひとり来た
魚が跳ねたわけでもないのに萍(うきくさ)が開くのを見た
すると捲かれた蓮の葉が、その浮き草を開いた風に触れられて
ためていた清らかな香りの朝露をそそぎ落とした

※表題の塘は「いけ」(天然の池が「池」。人口の池が「塘」だったと思う)。「萍が開く」ところが最初わかりにくかったが、早朝の清らかな蓮の池の雰囲気が出ていて佳い。

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家庭教師ヒットマンリボーン28

前回見逃したので、スカルの試練がどんなものだったかわからない。
マーモンの試練は、「適応力を見る」とのこと。
そして、その裏にはボックス兵器の開発委託があった。

山本曰く「焦れば見えることも見えなくなる」。その通りで、幻術にかかっていなくても日常良くあることかもしれない。
「見えなくても本当の並盛町はここにある」と目隠しをした了平の誘導で神社にたどり着く三人。
マーモンはヒトデを使ったボックス兵器で応戦。ツナがボンゴレ10代目ボスらしいセリフを吐いて鼓舞し、第三試練の証を手に入れる。
姫子が使ったナイフは、ベルフェゴールと同じ(ただしナイフが神社の石段に突き刺さるのは納得しがたいが…)。
EDはあまり好きな曲ではないが、歌詞を聞いて見ると首肯できる詞である。

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神奈川近代文学館「生誕100年記念 中島敦展~ツシタラの夢~」

.8月2日(日)の最終日に見に行く。

こんな横浜に縁があった人とは知らなかった。東京帝国大学を卒業してから南洋庁に就職するまで、横浜高等女学校の教師として8年間も勤務していたのだ。
昔フェリスに音楽を聴きにいったとき、汐汲坂から降りる途中に幼稚園があるのが印象に残っていたのだが、実はそこがその女学校の故地だった。

意外な美食家で、中華街の短歌がおもしろい。

白く濃き 唐黍スゥプ 湯気たちて
あら旨けやな うす脂うく

國つ仇を 懲らし伐つとふ 國なれど
唐の料理の 憎からなくに

うましもの 唐の料理は むらぎもの
心のどかに 食ふべかりけり

しかし、持病の喘息が悪化し女学校を退職、南洋庁に就職して現地の子供たちの教科書の作成のため単身パラオに渡るも(当時日本の信託統治領)、肝心の気候は持病に悪く、植民地統治のひどい扱いにも絶望することとなる。
しかし、その一方内地では深田久弥が推薦し、本人の預かり知らぬところで雑誌掲載小説が評判となる。
かくて、作家デビュー。しかし、まもなく悲劇の最後が訪れる。この才能あふれる人がいよいよスタートというときになんということかと、展示を見て無念の思いだった。
韓非子を扱った小説「吃公子」のメモも展示されていた。未着手に終わったのがまことに惜しまれる。

ユーモリストで(それは「名人伝」などで窺えるけれども)、富士登山のさい「富士山は楽な山で、豚でも登れます」と夫人にはがきで書き送っている。

ちくま文庫の全集三巻を読破したくなった。暇ねーなー。

※引用の短歌の第二句はもちろん昭和12年に始まった日中戦争を踏まえてのこと。

《おまけ》
中島敦が高等女学校の第二学年に出した国語の試験問題の一部。いまの中学二年生である。

読み仮名及び解釈
1.只管
2.酣
3.爾来
4.鎬を削る
5.舳轤相銜む

解釈
1.木に縁って魚を求む
2.盾の一面のみを知る
3.眼光紙背に徹す

いかがかな?
これを考えると現代の教育は甘すぎるんじゃあ…。

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夕立

夏雨(かう)     唐 韓握(※本当はニンベン)

猛風飄電黑雲生
霎霎高林簇雨聲
夜久雨休風又定
断雲流月却斜明

猛風飄電(ひょうでん) 黒雲生ず
霎霎(しょうしょう)たり 高林 雨声簇(むらが)る
夜久しゅうして 雨休(や)み 風又た定まる
断雲流月 却(かえ)って斜めに明らかなり

※あやしい風に広がる黒雲と稲光、林を鳴らして沛然として降リだすにわか雨。そして夜になって雨も上がり、まだ風に流れていく断雲に明月が冴える。卓越した夏の夕立の描写。最近気候不順のせいか、こういうあとでカラリと晴れる夕立を見ない。

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末伏

今日は「末伏」。
暑さが盛りの季節が三伏で、夏至後三番目の庚の日が初伏(今年は7/14)、四番目の庚の日が二伏(今年は7/24)、立秋後最初の庚の日が末伏である。

今日の早朝にペルセウス座流星群が極大だった由だが、この天気では月明かり以前の問題だ。

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朝焼け

朝5時前に起きて空を見ると、うろこ雲がたなびく薄水色の空の東がオレンジ色に染まっていた。写真で見せられないのが残念。

数日する間に、夜の虫の声が繁くなっている。朝の空気ももう晩夏の始まりという感じだ。

NHKの「海軍の証言 400時間」三回シリーズが昨夜終わる。感想はのちほど。

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立秋Ⅱ

気がつけば、夜コオロギが鳴いている。

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立秋

『礼記』月令篇に「涼風至り、白露降り、寒蝉鳴く」とある。まあ、白露はまだ早いだろうが。

最近の天候不順はともかく、昔の猛暑の頃も、この頃になると夏の勢いが止まり、四六時中やたら暑いのではなく、風に涼しさを感じるようになる。これを「夏の峠」と自分で名づけた。

『漢詩歳時記 秋1』に曰く、立秋は「春以来伸長してきた陽の気が衰微に向かい、初めて陰の気が伸びはじめるという陰陽の転換点」であり、「秋の立つ頃は宇宙も人間の社会も静謐に向い始める季節である」と。そう考えると含蓄深いものがある。

今日は朝風が涼しい。夏は通勤時に家々の軒先に咲く青や紫の朝顔の花を眺めるのが楽しみである。

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ツクツクボウシ初鳴2009

昨日朝、今年初めてツクツクボウシの声を聞く。

その少し前、空が明るくなってきた頃にヒグラシが大きな声で鳴きだした。

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復活

『江戸の歳時風俗誌』六月の項を終わったので、昨日から『漢詩歳時記 夏』(同朋舎)が復帰。白居易の涼風の詩から。山を降りることを「翠微をふむ」と表現しているけれどどういう意味だ?

見田村元宣『朝9時からの「超」仕事術』読了。有益。朝4時起床生活の推奨。

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横浜開港資料館「横浜の歴史あれこれQ&A~近代編~」

昨年の「白船来航」展のとき買った冊子だ。286円+税。

全28問からなる横浜の開港以来の歴史の問答集。特に横浜公園(現スタジアム)、山下町・山手の地番、フランス山など、居留地の歴史が興味深い。中華街の起こりも、西洋の習慣・日本の漢字に両方通じる中国人が貿易のために多数来たことなど、なるほどと思わせる。

詳細な事柄は類書に譲るとして、横浜開港150周年の豆知識入門として適していよう。

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田中紀子『農聖 石川理紀之助の生涯』

農業経済学の故・佐藤常雄先生は秋田のご出身で、授業中この人のことを紹介してくれた。

とにかく真面目の権化のような人だ。秋田の山田村の農家で、明治初期に請われて秋田県庁に奉職しているのだが、そのときの通勤は徒歩で片道六里半!(もちろん徒歩)。言うまでもなく一里は4キロだから六里半は26キロ。これを東海道に例えると、東京・丸の内に出勤するのにこの人は毎日(毎日だよ)JR東神奈川駅の付近から歩いていることになる。しかも舗装された平地でなく起伏のある昔の道だからもっと悪条件だ。時速6キロでスタスタと休みなく歩いたとしても、所要4時間20分。朝8時に登庁するには3時半には家を出なければならないし、午後5時に定時に退庁したとしても、家に着くのは9時半である…。

羽後国秋田郡金足村に江戸末期に生まれ、大正初年になくなったいわゆる「老農」で、斜陽だった養家の石川家を再興したのを手始めに、勤勉と工夫と有志の力で農業・農村の発展を図った人物である。
その特徴的なのは「早起き政策」。夜はなるべく早く寝て、自身は午前2時ころに起き、3時になると板を叩いて村人を起こして回った。「どんな貧農も勤勉で立ち直る」(この言葉はこの本にはないが、理紀之助の言葉と伝わる)という信条で、多くの荒廃した農村を復興した。その生活習慣は村人にも定着し、鹿児島の復興した村から出発する時は送別会を「小学校の時間に差し障りがないように」午前3時に開いている。

この本の中で、理紀之助が秋田県庁時代に登用・師事した秋田県の四老農の話が出てくるが、彼らに共通しているのは勉強熱心なことと、奉仕する精神だ。理紀之助は分家の出身で、本家に嘱望されて入り婿したが、本家の棟梁となると学問する時間が取れず、結局飛び出している。朝に勉強する習慣も昼は農作業で忙殺されるために少年時代に編み出したことであった。これを「暁学」といった。
「農家に学問は入らない」と昔は子供を学校に通わせたのを嫌がったようだが、この時代にあってもそれは間違いである。いわんや複雑な現代社会においてをや。

この本は理紀之助の生涯を俯瞰する上でちょっと物足りないところもあり、中には年号の間違い(明治28年の話がいつのまにか明治27年になってる、とか)もあるのだが、素朴ではあるが理紀之助の生涯の簡潔な紹介となっている。

「どんな貧農も勤勉で立ち直る」。100年来の大不況といわれる今、この言葉を噛みしめてみたいと思う。

最後に、言わずもがなかも知れないが、理紀之助が明治21年に上京して農商務省で農家経済の方策を講演したとき発表した「教訓十四か条」をご紹介しておこう。

1.寝ていて人を起す事なかれ
2.遠国の事を学ぶにはまず自国の事を知れ
3.資金を力にして興す産は敗れ易し
4.金満家の息子は、多く農家の権利を知らず
5.経済は唯だ金銀を沢山持つ事に非ず
6.勧業の良結果は、多く促成を要せず
7.農家にして蓄財を望まば耕地に貸付けて利を取れ
8.樹木は先祖より借りて、子孫に返すものと知れ
9.人力のみにて成熟するものは、永久の産とならず
10.子孫の繁栄を思はば、草木を培養する事を以て知れ
11.国の経済を考えて、家の経済を行へ
12.豊年にも大凶あり、気をつけて見よ
13.金銭は濫りに集める事は易くして、能く使う事は難し
14.僥倖の利益は、永久の宝にあらず

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古河の花火

古河には不思議と縁があって、少なくとも三回は行っている。
一回目は歴史資料館と古河公方の館跡。あと、古河のハスを見に夏の朝、少なくとも二回行っている。しかし今年はまだ行っていない(というか。7月の三連休で行かなかったのが怠慢なのだが)。
今回8月1日に花火大会があるというのを駅のポスターで知り、どうせなら出かけることにした。
近在に行かないのは、都会ではやたら混むし見る場所もない。それに、このくらいの少し遠出をするほうが車中じっくり旅情も味わえ読書もできるし、一挙両得なのだ。

17時古河駅着。駅そばで腹ごしらえをし、ビールを買い込んで、ジモティ(地元の人)の列にまぎれて出発。
途中、篆書博物館がるのを見る。興味深いので再訪の要ありだ。
というか、沿道の店がから揚げとか焼き鳥売ってるじゃん…。つまみはここで買えばよかったかも。
18時河川敷着。土手の斜面になっているから観望には申し分なし。目の前はゴルフ場になっている。コースの中に立つ柳の木が印象的だ。
一族郎党で折りたたみテーブル持ち込んで、桟敷席体制になっているところ多し。本来はこうあるべき。
さすがに暇なので、どろりとした曇天を眺めながらビールを飲んで待つ。

19時10分、花火開始。少し迫力不足(玉数不足)と感じなくもないが、繊細、かつ豪奢な夏の芸術を満喫。
見ていて、打ち上げ花火というものを考案し、実施した江戸時代の日本人、そして現代もあちこちで実施している日本人の感性の素晴らしさというものをしきりに想う。

20時40分終了。多くの人の波に乗ってのんびり歩きながら駅まで撤収。21時過ぎの電車で帰還。

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家庭教師ヒットマンリボーン27

コロネロの試練を制し、戦闘力を認められる。
前回の次回予告でランボの頭の中が光ってたのは単にボンゴレリングだったのか…。

一方怪しい双子をシャマルが阻止。まあ、ああ見えても彼は「トライデント・シャマル」と恐れられるボンゴレのヒットマンだ。

今までの星座占いやハルハルインタビューが普通に「次回予告」に変わったが、そうでなくても今まで次回映像が少しは出ていたわけだし、何より先の展開が少しわかってしまうのであまり良くない…。

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8月1日

今日から8月。夏真っ盛り。

というか…、寒。
寒いので長袖のパジャマに着がえた。
これじゃ冷害になるんじゃ…。

なお、年中行事は旧の方が本来の趣旨に合うので、「八朔」は旧・八月一日である9月19日に(覚えていたら)記述することとする。
八朔はその年初めて取り入れた穀を土器に入れて主人に祀るのが趣旨だから、今日では早すぎる。
講談社学術文庫1527の小野武雄『江戸歳時風俗誌』で、ここのところ江戸山王祭(六月十五日)あたりを読んでいる次第。

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