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ラジオ「関が原合戦と直江兼続」Ⅵ

関が原戦後、また攻めて来た伊達を撃退し、その後、一年近くにわたる和平交渉を展開、上杉景勝が謝罪して家名は保ち、会津120万石から米沢30万石へ領地1/4の転封となる。

直江兼続は政治的意図から実子を排して本多正信の次男を養子にもらい、治水工事等で米沢を51万石まで、ほぼ収入倍増の治績を上げる。なにしろ収入1/4で家来は召し放っていないのだから必死である。内治の名家老であろう。

日本に残る最古の『史記』も兼続が京で入手したものとのこと(のち、鷹山の興譲館に受け継がれ、現在に至る)。

その後、養子本多政重は前田家の家老となり、実子も早世して直江家は断絶、菩提寺は徳川家を憚った上杉家のために破却される。

復権は明治を待たねばならぬ、と。

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